<<ほぼ日替わりコラム>>
三國連太郎さん、旅立ちの前に覚えた家庭の温かみ
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先日のこと、三國連太郎さんが亡くなられた。90歳という高齢だっただけに、亡くなる直前には、かなり体力的にも衰弱し、周囲の芸能界の関係者からのお見舞いもすべて辞退していたという。
その点でも三國さんは最後まで、役者としての人生をまっとうしたといえる。
それだけに、家族に対しては、どこか息苦しさを感じていた。そのために3度の離婚、4度の結婚という破天荒な夫婦生活を送っていた。
そうした、どこか浮世離れしたライフスタイルは、家庭生活にも如実に現れていた。とくに2人の子供には、まったく父親らしいところがなかったという。
芸能記者の話。
「3回目の結婚で待望の長男の誕生だったが、小学校6年生の時に、女優の太地喜和子さんと駆け落ちしてしまった。そして、後に佐藤浩市となる長男に対しても縁を切ると宣言した」
その後、長男の佐藤浩市が俳優の道を進んでも、共演はかなわなかった。
「最終的には、95年の映画『美味しんぼ』で共演しますが、その時もようやく再会したものの晩年までは、なかなか打ち解けることはありませんでした」(前出・芸能記者)
そして、初めての結婚の時に生まれた長女には、さらに、素っ気ない態度だったという。
「三國さんの長女は、最初の結婚の時に生まれたものの、長女ができてほどなく自宅を出て、放浪生活を送るようになります。そして、残された長女は成人して、ある女性週刊誌の記者になるんです。当然、三國さんはすでに2枚目役者として活躍していた。そこで、三國さんの長女はインタビューを命じられ、三國さんの元に現れるんです。ところが、三國さんは、長女との20数年ぶりの再会にも関わらず、『ああ』と答えるだけで、表情一つ変えず、淡々と取材に応じたとか。しかもあまり三國の娘と周囲に吹聴するのを好ましく思わなかったようで、三國さんの娘もあまり、この件には触れないようにしていた」(かつての同僚)
だが、三國さんは四度目の結婚にして、ようやく家庭の温かみを覚えるようになったという。
映画関係者が言う。
「かつては、家庭に居心地の悪さを覚えていたようですが、最後の結婚では、撮影が終われば家に飛んで帰る生活。妻のために空気のいい静岡県に別荘を購入するなど、家庭優先の生活となった。そして妻の仲介で長男の佐藤浩市さんとも和解。すべて清算して、旅立ちました」
家庭を顧みない役者バカだった三國氏。まさに、役者人生をまっとうした人生だった。合掌。
2013/4/19
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