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岡田有希子、3通の遺書…相澤会長タレント愛の原点
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先日のこと、サンミュージックの相澤秀禎会長の葬儀が執り行われた。その場には、かつて所属したタレントが多数詰め掛けていた。その中には、統一教会の騒動以降、姿を消していた桜田淳子や、昨年ようやく復帰を果たした酒井法子の姿もあった。

相澤会長は、アイドル育成のシステムとして寮制度を確立して、家族同然の暮らしをしながら、しつけや社会人としてのマナーを教えてきた。それほど、面倒見がいいゆえに、寮を出た途端、トラブルや騒動を起こすケースも少なくなかった。

その中でも、ショッキングだったのは、岡田有希子の自殺だった。彼女もまた自殺直前まで寮で生活していたが、一人暮らしを始めた途端、情緒不安定が悪化し、事務所の屋上から飛び降り自殺を図った。86年の4月のことだ。

その時、たまたま事務所近くにいた大先輩の梨元勝氏が、事務所を直撃。まだなくなったばかりの彼女の遺体がワイドショーで放送されるという一幕もあったのを覚えている人も多いだろう。

そして、何よりも晩年までその死を悼んでいたのが、相澤会長だった。今でも事務所の金庫には、岡田の遺書があるといわれている。

実は、以前この遺書を読んだという人物と接触したことがあった。この男性は、当時、捜査関係者として、岡田の自殺を捜査していた人物だ。
「当初、この自殺はあまりにも突然なので、自殺と他殺の両面で、捜査が進んだんですよ。もしかすると、誰かにそそのかされたりしたかもしれないですからね。ところが、彼女の身辺を調べるうちに、遺書の存在と日記が綴られていることがわかった。それで、最終的に自殺という判断になったんですよ」

彼女が死の直前まで、書いていた日記には、俳優だった故・峰岸徹氏への思いが書かれていたという。悩める乙女心が、自殺の引き金になったのは、間違いなさそうだ。さらには、遺書の存在が決め手になった。
「遺書は3通あり、家族宛と相澤会長(当時社長)に宛てたもの、事務所のスタッフにあてたものがあったんです。おおむね、感謝の言葉が述べてあったんですけど、明らかにおかしいのが、『私は飛びたい』とか、意味不明な内容があったんです。そこで一時は、薬物も疑われたんですが、実際はそんなこともなく、かなり錯乱した末の自殺だという結論になったんです」

相澤会長は、その内容にショックを受けて、ますますタレントの育成に対して、家族以上の愛情を注ぐようになったという。数々のアイドルやタレントを輩出した相澤会長は最後まで、子供以上にかつてのタレントたちを可愛がったことが伝わるような葬儀だった。合掌。
2013/6/7


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