新装投稿!テリー塾
◆「ネットで誹謗中傷する奴出てこいや!!」
茨城県・唯
20代前半・女性
最近、一般人も芸能人も含めて、ブログ、掲示板などで誹謗中傷が目立ちます。顔が見えないし、匿名のせいだと思いますが、ふだん言えないようなことを言う人が多いと思います。
私も、ふだんは人見知りで話せません。でも、匿名性を利用して誹謗中傷はしません。
ふだん、言えない人たちは実際、嫌な思いをしている人が多いと思います。職場や学校、街中で面と向かって「ブス」「デブ」「キモい」「死ね」など言われている人多いのではないでしょうか?
でも、そんなふうにされて自分が嫌な思いをしたから、ネットで他の人を傷つけてもいいと考えるのはまちがえていると思います。
言葉や文章で人を精神的に追い込めば、人をも殺せると思います。
自分がふだん嫌な思いをして、言葉の痛みを知ったのなら、人に優しい言葉をかけましょ。ネットで顔が見えなくても、言葉で励まされたり、笑顔になったりすることもあります。

【テリーのコメント】
この世に、2チャンネルや掲示板が出現しはじめた頃、私は「これは、便所の落書きだ」と言ったことがある。
だれがどういう立場で書いたかを明らかにすることもなく、無責任に人の誹謗中傷をしたり、悪質な落書きをする様子は、昔から各地の公衆トイレに書いてある落書きと同じだと感じたからだ。
自分の名前を明かしてブログを書いている人は、それとはちがう。だれかを批判するようなことを書くにしても、それは自分もリスクを背負うことになる。だからといって何を書いても許されるわけではないが、ちゃんと自分の名前と立場を明らかにしているということは、基本的には「自分が書いた文章には自分で責任を負う」という意味だから、匿名の文章とは決定的にちがう。
ただ、ブログとマスコミの間には、大きな違いがある。マスコミという公器を使って表現する場合は、マスコミ自身に自己規制の機能があるから、一個人が何でも好き勝手に書けるわけではない。
もし私が新聞や雑誌で、個人的に嫌いな人をアンフェアに批判したり、一方的に相手の人権を傷つけるような原稿を書いたりしたら、編集者が「テリーさん。これは載せるわけにはいきません」と断られてしまう。
ところが、ブログだったら基本的にフリーパス。自分が書きたいことをだれかに止められることはない(書いた後に削除や休止を求められることはあるだろうが)。
だから、有名人のブログでも、ときどき「炎上」とか「名誉棄損訴訟」に発展することはある。
つい最近も、矢沢永吉さんと「矢沢のモノマネタレント」の間で、ブログがきっかけで裁判沙汰になっている。
一度は和解したはずなのに、その後、お互いのブログの主張に対してお互いが噛みつきあうことになってしまい、結局、再び法廷で争うことになってしまった。
もしこの世にブログなどなければ、双方、もっと直接話し合いの場を持とうとしたはずだから、こんな泥仕合をしないですんだはずである。
この例にかぎらず、ブログというフィールドには「これは自分のブログだから何を書いてもいいんだ」という油断や勘違いが元でトラブルになるケースが多い。
だれもがブログで自己表現できるようになったこと自体は喜ばしいが、そこには、当然、実社会と同じようにモラルとルールが必要なのだ。
そこに無自覚で無意識なブログが野放しにされているということは、社会にとって、いつでも危険な要素をはらんでいるのだ。
記名のブログでさえそうなのだから、ましてや、匿名の落書きの世界は、もっと危険だ。そこが法的にも社会的にも整備できない実情があるかぎり、危険を防止できるのは「利用者の良識」だけだ。
この投稿塾に寄せられる投稿をみるかぎり、載せるに堪えないものと、載せるに値するものの比率は2対8程度。その「8」のなかには、思わず拍手をしたくなるような投稿も少なくない。これは「利用者の良識」に期待できる数だと私は思っている。
要は、どんな掲示板であれ、一部の悪質な利用者が問題なのだ。実社会でもネット上でも、残念ながら「悪」は存在する。そこから身を守れる知恵と協力が、今後、ますます求められる。
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