志和:初めての取材

小学6年生…その頃、都内のある下町で、オフクロが「美蘭(びらん)」という名のクラブをやっていたんです。その前にやった小料理店がすごく当たって、どこぞの社長が内装に億かけて下町には不釣合いな店を出してくれて。

子供だったんで大人の話は分からないのですが、そのオフクロの店に、私が通う小学校の先生たちが、担任はじめ何人かでよく飲みにきてるって、やがて知ったわけです。それで、やっぱり親の店ですから、そのうちには先生たちがだらしなく酔っ払って、店のホステスさんにしなだれかかってる、みたいな図を目撃したりもしてしまうわけです。

子供心に、先生も人間だからなぁ〜、なんて。

と、そのぐらいならよかったんですが。なんか、さっぱり勉強なんて出来なかった私に、ある日、親がこう言うんですよ。
「お前ね、中学受けてみるかい?」

私の子供の頃ですからね、中学受験なんてする子は、ほとんどいなかった。それなのに、なんで勉強出来ない自分が?って不思議で。

そのうちに、なぜか学校の先生が、見たことのない大人たちと数人で、何度か家にやってきたんです。なにやら、すごく大事な話らしいってことは感じるわけです、いくら子供だって。

先生は私の顔を見ると、学校で見せるような普通の笑顔で「よ!」って感じであいさつをして、2階の部屋へ親と一緒に入っていく。でも、言外に、お前は部屋に入ってくるなよ、ってニュアンスが伝わってくる。

中でなにを話しているんだろう?

知りたくてたまらない。そこへ、親が頼んだ寿司が到着したんです。私は、寿司を受け取った祖母から半ばひったくるように寿司桶を奪って、「僕が持ってく!」って。祖母は、なんだか知らないけれど、やさしく微笑んでいた。そして、祖母の代わりに2階の部屋の前へ…。

そ〜っと寿司桶を薄暗い廊下に置いて、ふすまの向こう側に、聞き耳をたててしまったんです。忘れもしない、当時の金で300万。それで、中学校から大学まで行ける。名前の通った某大学。そんな話を、先生が親に持ちかけていたわけです。

なんか、子供ながら生意気に、自分の知らないところで自分の話が決められていくのがすごく腹立たしかったのを覚えています。だって、私立なんか行ったら、友達と離れ離れになってしまう。

それで、そのことを、教室の後ろの壁に張り出す壁新聞に、あるとき思い切って書いてしまったんですよ。なぜなら私、新聞班の班長だったので。

そのあとの記憶は定かではないけれど、職員室に呼ばれたり、教頭先生と話したり、いろんなことがあった。結局その話は断って、みんなが行く公立の中学へ進学することに自分で決めて、そうしたら、卒業するまで先生がものすごく機嫌悪かったのを覚えています。

中学に進学してから、先生が担任を外されて、一教科の専任になったのを知りました。なんで外されたのか分からないけれど、たぶんそういうことを他にもやっていたりして、問題になったのかな…。

でも、中一の3学期あたりだったか、小学校のクラス会で先生と会ったら、ニコニコしてくれたので、ずいぶんとホッとしましたけれど。

もうその先生もとっくに退職されて、時効なんで書いてみました。大人たちが大事そうな話をしている部屋の前で、ドキドキしながら聞き耳をたてている…あれが、自分にとって初めての取材だったみたいな気がするんです。

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