志和:悪魔仮面



「今日の誕生日」見たら、ミル・マスカラスの誕生日だそうな。

何を隠そう、私が生まれて初めて"インタビュー"した有名人なのです。

70年代〜80年代にかけて日本に大ブームを巻き起こした、メキシコの覆面レスラー。「仮面貴族」とかいう親しみやすいニックネームがつけられる前は、試合のたびにマスクを変えることから「千の顔を持つ男」といわれ、さらにその前は、「悪魔仮面」とも呼ばれていた。

それで…ごめんなさい、インタビューと言っても、子供の頃のお話なんです。

当時、後にプロレス専門誌の編集長となった方が、学生時代に主宰していたマスカラスのファンクラブに入っておりまして。ずいぶんとお世話になったものです。

その頃は、まだ電子コピーというのが珍しい時代で、文具店が1枚40円とかでコピーサービスを始めたばかり。ファンクラブの会報は、毎回、コピーで刷って、全国の会員に配っていたんですよ。自分も制作に参加したりして、楽しかった。

それで、私が中1のときの正月。マスカラスが来日するので、ファンクラブでインタビューをしようということに。私もその"取材班"の一員に加えてもらって、何ヵ月も前からNHKの講座とかでスペイン語を勉強しました。

当日はプロレス専門誌の編集者の方が、仲介してくれましてね。後楽園ホールで、宿敵デストロイヤーとの試合を前にしたマスカラスに、話を聞くことができた。

もうね、ガッチガチに緊張しました。あこがれのマスカラスが、控室のグレーのスチール製の扉を開けて、勢いよく目の前に飛び出てきたときには、付け焼刃のスペイン語もなにもかも、ふっ飛んでしまった。第一、マスカラスは英語も堪能だった…。

胸に「88」と白抜きでプリントされた鮮やかな紫のシャツ。そして、黒いラメのマスク越しにのぞく瞳が、とてもやさしくて。握手に差し出してくれた手が、とてもやわらかくて。怒られないようにと、そ〜っと銀色のリングシューズに足を近づけてみると、やっぱり自分の足よりぜんぜん、大きかった。声も、いい声でね。

でも、そのあとマスカラスはどんどん人気が上がって、「スカイハイ」という映画の主題歌を入場テーマに使うようになってからは、プロレスの枠を超えたスターになっていった。根っからアマノジャクな少年時代をすごしていた私は、そんな人気者マスカラスについていけなくなって、ファンクラブもやめてしまって。

だけど、マスカラス、まだ現役なんですよね。すごいねぇ、もう70歳ぐらいになるでしょ。いまだにマスク被って、リング上がって。

そういう自分も、取材したり、文章書いたり、なんてことを仕事にしちゃって。やっていることの本質は、ぜんぜん変わっていないような気もします。

こういうのって、夢に生きているっていうの? 進歩がないっていうの?(笑)

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