マロン:憲二パパ、猪木より強かった

タイガーマスク

坂口憲二が父の道場で柔道指導中、ケガをした。幸い全治1週間程度で、ドラマ撮影にも影響ないという。父とは、元プロレスラー坂口征二。アントニオ猪木の新日本プロレス黎明期の立役者だ。

転校先の小学校でイジメに遭った私は、漫画タイガーマスクに励まされプロレスファンになったのだが(憲二もタイガーのファンだとか)、当時プロレスといえば馬場の全日本プロレスと猪木の新日本プロレスが双壁。
本気で戦えば間違いなく日本最強だった坂口だが、新日本のリングでは猪木がエース。よきパートナーとして、たまに猪木と戦っても負け役に徹した。

そんな温厚で忠実な性格の坂口に、1983年、ある事件が起きる。

そのころ坂口は、マッチメーク(試合の組み合わせなどを考案)を担当していた。プロレスのおもしろさは、マッチメーカーがどんなカードを組むかで左右される。ファンのニーズを把握する「センス」と「読み」が必要とされる重要なポストだ。

新日プロが社運を賭けたIWGPという大きな大会の優勝戦、エース猪木は売り出し中のアメリカ人選手ハルク・ホーガンに敗れてしまう。それも、ホーガンの必殺技を食らい舌を出して失神KO。凄まじい結果に、当時プロレスを扱わなかった一般紙までこぞって報じた。

実はこれ、坂口が決めた筋書きとは異なる結末だった。猪木は独断で結末を変え、坂口はもちろん、勝ったホーガンでさえリング上であからさまにオロオロする有り様だった。

一説によれば、猪木の借金取り立てのため暴○団関係者が会場を訪れていた。それから逃れるため、猪木は失神KO劇を演じ、リングから直接救急車で病院へ搬送される必要があったというのだ。真実はどうあれ、猪木が信頼を裏切る行為を行なったのは事実。曲がったことの嫌いな坂口にとって、ゆるせることではなかった。

「人間不信」…そう書き置きを残して、坂口は翌日から出社しなかった(後に復帰するが)。

そんな父・征二の実直さを、私は憲二から感じる。ふとした表情やしぐさから、父の面影が伝わってくるのだ。

人の価値は、エースであるかどうかで決まるわけではない。

《前へ   次へ》

芸能!裏チャンネルTOPへ

(c)StockTech.Inc
(c)Time Inc.